FREITAG誕生秘話

「キッチンは縫製工場、バスタブは洗浄用のたらいに」と当時を振り返るオリバー・ゲンパーレ(Oliver Gemperle)。ダニエルとマーカスのルームメイトだったオリバーが、90年代初めにFREITAGがどのようにして生まれたかを語ります。

まずは時間を1993年まで巻き戻しましょう

僕のシェアアパートの家賃は月に300スイスフランほどでした。だから、ぼろアパートなのは当然。天井からお皿くらいの大きさのしっくいが剥がれ落ちてきたり、浴室ではガス給湯器がガタガタ、シューっとものすごい音を立てて暴れたりといったことは日常茶飯事。アパートの真ん前には、街を真っ二つに分けるハードブリュッケと呼ばれる幹線道路橋が通っており、そこを轟々とトラックが行き交っていました。

僕にはルームメイトが2人いました。その1人がマーカス・フライターグ(Markus Freitag)です。あるどんよりと曇った昼下がりのこと。マーカスが、運送業者で手に入れたというトラックの幌を自転車に取り付けられたサイクルトレーラーに積んで帰ってきたのです。 マーカスは、強烈な臭いを放つ巨大なモンスターを引きずりながら必死に階段を上り、やっとのことで僕たちの部屋へと運び込みました。「これでバッグを作るんだ」と、彼は言い放ちました。「バッグを作る?」と、僕は返しました。「そう、サイクリストのためのバッグだよ。自転車に乗らない人にとっても、きっと便利なはず。素材には使い古しの物だけを使うんだ。例えば、幌とか、自転車のインナーチューブとか、車のシートベルトとかね」と、マーカス。ふむ、なるほどね。

マットレスとステレオの間で

マーカスは、洗ったトラックの幌を自分の部屋のマットレスとステレオの間に広げ、デザインを考えました。僕たちのアパートはいつの間にかバッグを作る工場となったのです。
朝(時にはお昼頃)起きてシャワーを浴びようと思うと、なんと、黒く汚れたバスタブの中にトラックの幌が溢れているではありませんか。廊下は自転車のタイヤチューブが詰まった箱だらけ。キッチンでは道路の騒音よりも大きなミシンの音が、朝早くから夜遅くまで鳴り響きました。

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そんな日々を過ごしていたある日、アメリカに旅行に出かけていたもう一人のルームメイトダニエル・フライターグ (Daniel Freitag) が戻ってきました。ダニエルは僕たちのアパートで残っていたわずかなスペースにコンピューターとプリンターを運び込みました。ダニエルは注文、納品、在庫などのデータベースを開発していました。彼がここへ引っ越してきたのか、ただ夜通しここで働いているだけなのか、僕にはわかりませんでした。2人の兄弟がきちんと睡眠を取っていたのかって?僕が言えるのは、ここまで説明してきたのは例外的な状態で、こんな状態が永遠に続くはずがないということだけです。

1993年、最初に作られたプロトタイプのメッセンジャーバッグ。使い古されたトラックの幌、車のシートベルト、自転車のインナーチューブを使い、チューリッヒの小さなアパートの一室でハンドメイドで作られたのです。

最初のFREITAGバッグ

そして、ついにお披露目会の招待状を手にする日がやってきました。招待状は20 x 10 cmに切り抜かれたトラックの幌に「TRUCK STOP BAR」,3月24日(木曜日)18:30~、ハードブリュッケの橋の上にて、とシルクスクリーンでプリントされていました。なんとバッグがお披露目されたのは、街を横断する幹線道路橋の脇にある歩道の上。集まった人たちは、ガソリンタンクから振舞われたお酒を飲んだり、おしゃべりを楽しみながら、バッグを購入していきました。もし時間を巻き戻せるとしたら、僕はその場にカメラを持って行き、この歴史的な瞬間を記録したでしょう。とはいえ、あの時の特別な光景は今もなお鮮明に焼き付いているのだから、それはそれで美しいのかもしれません。

これが最初のメッセンジャーバッグF13 TOP CAT。ニューヨーク近代美術館(MoMA)に所蔵され、世界中にある選りすぐりのショップでしか購入できません。
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